あかり

こんにちは

友愛について思うこと

 

 

 

才能や実績でひとをはかって、あっさりと手のひらを返してしまうひとと、同じ人間として対等にいるのは個人的に難しいな、といつも思ってる。

 

もっと言えば、同じ界隈だから仲良くする。趣味が似てるから仲良くする。凄いから仲良くする。友だちだから仲良くする。こういうのって、どれも同じく条件的な友愛に感じて、個人的にはいつも不快にさえ感じてる。仲良くされているとしても差別されてる気分になるっていうか、そんな気持ちで褒められたりしてもまったく嬉しくないし。

 

「そうは言っても、やっぱりイチバンに目に入ってくることだからさ、外面とか実績とか交流とか、そういうのって。しかたないのw」

 

と言われても、やっぱり個人的にはどうしても無理で、虫が好かなくて、体がムズムズ痒くなってくるくらい気持ちが悪い。ハッキリ言って、そんな友人や知人はいらない。疲れるし、しんどいし、キモいし、それで離れられたってどうでもいい。しょうもない有り様で笑われようとどうでもいい。好きにすればいい。見返したいとは思わない。

 

 

 

例えば、「クリエイター同士のふわふわした付き合い」「ブランド的な人気信仰」が無理の二大巨頭で。

 

価値があるヤツだから存在を許される。

価値がないヤツに用はない。

ああ、主役になりたい。

みんなに認められたい。

面白くなりたい。

美しくなりたい。

認められなきゃボクに存在意義はない。

認められてないヤツに存在意義なんかない。

 

って何?バーカ、いいから死ねよって思う。

 

 ぼくはなんとしても、"周りに認められるため" じゃなく、"自分の夢見る表現や美や波長を体現するため" に表現する。それに付き添って、共振してくれるクリエイター仲間がいつか現れてくれたなら、心の在り方を尊敬出来るひとたちが、もしくは応援してくれるひとたちが現れてくれたなら、さらに最大限の敬意と美徳を持って自己表現する。

 

っていうか、それでしかたぶん上手くいかないから。

 

 

 

ほんとさ、友人ってなんなんだろうね?

半分寝ながら書いたんだけど、ぼくはいったい何に対して怒っているんだ?

社会? 

人間?

友人?

 

これはいつもいつも思うことなんだけど、

「ぼくが多くの、素晴らしい作品を上げるようになって、ぼくに対する多くの人間の見る目が変わったとして。

ぼくが心から敬意をもって、心から慈しんで接することが出来るのは、ずっと変わらない目線を送り続けてくれたひとだけ。

表面的なことで変わるようなひとと、フラットで友好的な関係になれると思えない。

同じ界隈の同じ穴の出身だろうと、仕事の関係だろうと、誠意を持って対話することはあれど、そんな繋がりだけで友好性は持てない。

心理的な脆い紛い物の友好性のことなんか、これっぽっちも信用していない。

いままで友好性について不快に思ったこと、不快だったひとのこと、全部全部許す。

そのかわり、ぼくは素直に、そういう若いあり方の人間を二度と尊敬しないし、手助けもしない。

たとえ素敵な才能を持ったひとでも無理。

よしみでも無理。

 

これからはそういうの一切気にせず、好きなことし続けるし、好きなもの作り続ける。

何より、自分で自分に敬意を持てる在り方でい続ける。そうしないと苦しいから。

ほんとうに素敵な対話が出来るように努力する。」

 

 

 

 

ぼくは出来ることなら、才能より、人間として、人徳で認められたかった。